月光の眩しい夜。

ふと目を覚ませば、何処からともなく聞こえてくる澄んだ音。



――――――…まただ。



ここ最近、夜中に目を覚ませば毎回聞こえてくる謎の音。

否、謎ではない。何が…誰がこの音を出しているのかという目星は、とっくの昔に付いている。

小さな、極小さな音だが、凌統にとってみれば、決して聞き逃すことのない音である。



――――――アイツだ。また外に居るのか…?



"鈴の甘寧"。

その異名を取るほど、恐れられるほどに強い(らしい)彼は、呉軍内でも大事なメンバーの一人だった。

確かに、彼の強さは認めるし、重要なメンバーであることも理解はできる。

―――…だけど。

夏口の戦いで、彼の犯したこと。

「………」

いくら、今ここでどれだけ活躍していようと

決して、許しがたいことだということも…

わかって、いるのに。

「あー…くそ。眠れねぇ…」

がしがしと頭を掻く。なんでこんな時までアイツのことばかり考えるのだろうと、少し自嘲気味に笑う。

そう、そうだ。アイツは父上を殺した、父上の仇…。

何度も何度も、隙あらば殺してやろうとまで思った相手のはずなのに、それなのに。

気付けば今は、そんな感情がどこかへ消え去っていて、焦った。




―――――じゃあなんで、俺はアイツの存在を認めてるんだ?





仇じゃないなら、ただの仲間だと…思うのに。

違う。違う。

どこかでそう強く否定する自分が居るのに、いつ気付いたのかは覚えていない。

じゃあ何なんだ、そう問いかけても分からず終いのまま、毎日は終わる。

戦場で見るのは奴の背中、鳴る鈴の音…そして、血に染まる刃。

切られている敵軍の兵士が、あの戦いでの父と幾度となく重なる。

殴りつけたくなる衝動を抑え、戦うのに必死だった。死に物狂いだった。

それだけならまだいい。

あぁ本当にコイツが殺したんだ。そう思うたびに、胸を掻き毟りたくなるような痛みが襲ってくるのだ。

それが、何に対しての感情なのか、わからない。

殺したことへの憎悪?守れなかった後悔?それとも、認めたくないだけ?

毎日毎日、そんなことの繰り返し。いつかきっと、俺はどうにかなるだろう。

上半身を起こし、ゆっくり立ち上がる。どうせ眠れないんなら、いっそ…。

扉を開け、月明かりの下に居るであろう奴を捜し始めた。





































「…ん?」

黒い影。

あるはずのない場所にある影を見つけ、やがて理解する。

―――屋根の上に、奴が居た。

風が吹くたびに小さく澄んだ音が、まるで風に乗るように流れてくる。

綺麗な音だ。奴とは似ても似つかない、繊細で…恐いくらい綺麗な音。

白い月明かりを浴びて、彼の胸元では金色をした鈴が、これみよがしにキラキラと輝いて

その存在をいやがおうにも気付かせてくれていた。鈴が彼の存在をより一層引き立てている。

「…そんなトコで何してんだよ。風邪引くぞ」

無愛想な声でそう声をかければ、奴は弾かれたように身体を起こし見つめてきた。

意外そうな顔をされてしまうとなんだか気恥ずかしくなって、思わず視線を逸らす。

「なんだ?お前こんな時間まで起きてたのか?めっずらしーな」

「んなワケねーだろ。アンタの鈴の音がウルサイんだよ」

「はぁ?」

厭味ったらしくそう言えば、奴は思いっきり不快そうな顔をした。

特別脚色をしたわけでもなく、まぎれもない事実を言ったまでなのに

なんなのだろう、この少しの罪悪感と苛立ちは。思い切り顔に出てしまっているのが自分でもわかる。

「テメーどんだけ聴力いいんだよ。犬か」

「っつーか、毎晩のように外に出てなにやってんだ。不眠症かアンタ」

「別に?ただ考え事してただけだ。文句あっか」

「ぅわー、気持ち悪ぃ。こりゃ嵐が来るな」

「落としてやろうか海の底に」

「はっ。やれるモンならやってみろ」

挑発気味に笑ってみせれば、奴は拗ねたようにそっぽを向いた。

まるで子供だ。聞き分けのない子供そっくりだと思う。

コレだと決めたら考えを曲げないで、真っ先に突っ込んで…大暴れするタイプ。

まさに猪突猛進、その言葉がしっくりする人物じゃないだろうか。

「…っつーか、お前のほうが風邪引くだろ」

「どこが」

「お前ね、胸元開けすぎ。いつもそんなんで寝てんのかよ」

「万年上半身裸のアンタには言われたくないね」

「あのなぁ…」

溜息をついた後、奴は軽い身のこなしで上のほうから飛び降りる。

大きい音も出さずに目の前に飛び降りられて驚くのも束の間、額に人差し指を押し付けられた。

「暑いっつーのはよぉくわかる。わかるんだけどよ」

「…なんだよ」

「そこまで見せられててかつ髪なんて解いてたらお前…絶好のエモノだぜ?」

「え、は?何のこ…」

そこまで言って、ようやく奴の言わんとしている事がわかって、急速に赤面した。

からかわれた様で悔しくて、何か言い返してやろうと口を開いた。

が。

「……ぇ」

「…なーんちゃって。こんな風にいつか喰われちまうぞ」

わざと音を立てて離れると、面白そうにそう笑う。

今、俺何された?唇に残っているのは柔らかい感触…。




――――――って、マジ?




ようやく何が起こったか理解できた瞬間、ものすごい勢いで顔が赤く、そして体温が上昇していった。

ヤバイ ヤバイ ヤバイ。

っつーか…なんで俺、こんなにバクバクしてんだよ!?

「どぉしたよ。真っ赤にしちゃって」

「ば…違うっ!これは別に深い意味はなぃっ!!」

「深い意味って何なんだよ…」

クスクスと笑われて更に赤くなる。

毎回こうだ。コイツと居ると、いつもの調子じゃいられなくなる。

気がつけば奴のペースの中にいて、どうもがこうと…取り込まれていく。

今までに、こんなタイプの人間と関わったことなんてなかった。

いや、今の君主も似たようなところはあるが…少し、違う。

だから、慣れていないからこんなことになるんだろうか?

だが、素面で男にキスをするとはいったいどういう神経の持ち主なのだろうと、僅かに心配にさえなってきた。大丈夫かコイツ。

「なに?アンタなにがしたいワケ…?」

「べーつに。知ってもらおうとしてただけ」

「なにをだよ?」

途端に奴は不機嫌そうな顔でこちらを振り向き、やがて盛大な溜息とともに背中を向けた。

それが一体どういう意味なのかはわからない。否、わかるはずもない。

どういうことか訊ねるにも雰囲気的に訊ね辛くて、どうすればいいのかと悩むしか、方法がなかった。

が、意外にも月の下での静寂は長く続かなかった。

「じゃあ訊くけど、キスって大概どういう時…じゃない、どういう奴にする?」

「はぁ?何をいきなり…」

「いいから答えろって。誰にするモンだ?」

「そりゃあ…好きな奴…?」

「そ。じゃーもうどういうことかわかったか?」

「え…?」

僅かに頬を染めているらしいその顔。

珍しいこともあるもんだとか、そんな別のことを考えてしまい質問の内容が飲み込めずに居た。

つまり、キスというのは本来好き合っている者同士がするものであり。

勿論、それが頬などではなく口になら尚更で。

だから、だからつまり。

先刻俺にしたあの軽いキスは、そういうことだと…?

「…はぁ!?」

ようやく落ち着いてきたと思った筈が、気付けばまた頬が熱くなっていく。

「気付くのおっせぇんだよ。人がどれだけ待ってたんだと…」

「え?」

「いや、こっちの話」

ひらひらと手を降る奴の様子はいつもと変わらない余裕な態度だったから、余計ムカついた。

自分だけこんなに赤くなって焦ってて、なんだか馬鹿みたいだ。

「っつーかなんだよそれ。意味わかんねぇ」

ふいと、顔を背ける。

なんてことはない。ただ、真っ直ぐに顔が見れない。それだけだった。

「顔真っ赤なくせにわかってねーわけないだろ。おい」

「ばっ…離せ!!」

腕を掴まれて反射的に腕を振って拒否をしていた。

イヤだからとかそんなんじゃない。ただ、触れられただけで…どうにかなりそうだった。

その触れられた先から、温度が上がる。血液の流れる音がイヤになるほど聞こえてくる。

気付かれたくない。こんな感情。…アンタにだけは。

「…ばぁか」

不意打ちでぎゅっと抱き締められて、反射的に離れようと腕に力を込めたのだが、

どうあがいても彼の力には勝てそうになくて、仕方なくその力を緩める。

速く、大きくなっていく鼓動が、鬱陶しかった。止まればいいのに、加速していくばかりのそれに苛立ちさえ覚えた。

だけど、聞こえてきた奴の鼓動も同じくらい速くて、少し安心した。

こんな風になってるのは、自分だけではなかったのだ、と。

「離すかよ。絶対離してやんねぇから」

「…なんだそりゃ」

「――――――お前が」

少しの沈黙の後、奴は続ける。

「オレのこと許せないでいるのは知ってる。そのことで葛藤抱えてんのも」

「……」

「だから、許せないならそれでいいから。オレがお前のこと好きだって事は、忘れんじゃねーぞ」

「…っ」

ぎゅ、とそれまでより強く抱きしめられる。

駄目だ、ヤバイ。叫びだしたいような、哀しいような…妙な感情に支配される。

こんなのは初めてだった。どうすればいいのか全くわからないまま、目を閉じる。

もやもやして、すごく変な気持ちでいっぱいのはずなのに…此処に居ると、妙に心地いい。

「お前がオレのこと嫌ってようが関係ねぇ。オレ、何が何でも奪い取るかんな」

「え?」

「覚悟しとけば?どーなっても知らねぇぜ?」

何か企んだようなその微笑。

間近で見つめられて、視線を外そうにもはずせなくて…恥ずかしくて涙さえ浮かぶ。

違う。

恥ずかしいだけじゃない。色んな感情が混ざり合って…涙が、後から後から溢れてきた。

「っえ!?ちょ、おい…なんで泣くんだよ?!」

そんなに嫌だったんか?!と、彼はオロオロし始める。

違う。そうじゃない。

首を振って、それを伝えた。ぎゅっと、無意識のうちに彼にしがみ付いている自分が居た。

「…がう……ぉれは…」

苛々する。ムカつく。憎い。殺したい。憎んでも憎み足りない。

けど、許したい。もっと…親しく、なっていきたい。

――――――…好き。

ことあるごとに奴の事ばかり考えてしまったのは

父を殺したことを認めたくなかったのは

どこにいても、鈴の音が聞こえてしまうのは

きっと、そうだったから。

「…ど、したら…ぃ…んだよ…」

「へ?」

「もー…ゎかんねぇよ…何がなんだか…っ」

ポロポロとこぼれる涙。

みっともないとは思っても、とめられないのだから仕方が無い。

「…そっか。てめぇの中で折り合いつかないんだろ?じゃあとりあえず泣いとけ」

「…?」

「泣いたらスッキリするだろうがよ。いいから、気が済むまで泣いとけ」

また、その力強い腕に抱き締められる。

憎い。憎い。

この腕が、コイツが父上を殺した…。

だけど、そう思えば思うほど…こんなにも、苦しい。

あーくそ。ムカつく。…それは甘寧にではなく、自分に、腹が立った。

「お前がオレのこと好きになってくれるまで」

「?」

上を向かされて、何事かと思ったら…額に奴の唇が触れた。

壊れ物を扱うような仕草に、ドキッとする。こんな優しい手つきが出来るとは、思ってもみなかった。

「ずっと待ってるから。オレが死ぬまで、ずっと」

「……」

「だから、頼むから…」

強く強く、抱きしめられる。答えるように、おずおずと腕を回した。

月明かりが眩しくて、ゆっくりと目を瞑る。

相変わらず体温は高く鼓動も早いまま、けれど…心は妙に落ち着いていた。

「…はいはい」

わざと軽く答えて、微笑んだ。

多分、この心のどこかで恨み続けてゆくのには変わりないだろうけど。

それでも、今は。